あらすじ
布美枝(松下奈緒)と茂(向井理)のもとを戌井(梶原善)が訪れ、売れ行き不振のため「悪魔くん」を途中で打ち切りにさせてほしいと申し出る。茂と戌井が精魂を傾けて世に送り出した作品だったにもかかわらず、その結果は無残なまでの大失敗だった。茂は戦艦の模型作りに熱中し、幼かったころに、故郷の境港で見た連合艦隊とひとりの下士官との思い出話を布美枝に語って聞かせる。
69話ネタバレ
水木家
居間
戌井「『悪魔くん』 次の3冊目で 終了させて下さい。」
茂「え…。」
戌井「次に描いて頂く3冊目で なんとか 話を 完結できないでしょうか?」
茂「あと 1冊で…。」
戌井「無理なお願いなのは 分かってます。 長編大作として 綿密に 構想を練って頂いたのに。」
茂「2冊目も 話を膨らませて 描いてしまったからなあ。 あと1冊で まとめるとなる…。」
戌井「僕が ふがいないばかりに。 都落ちした今の家からも もう 夜逃げしたい気持ちです。」
茂「分かりました。 次の第3巻を完結編にしましょう。 出せば出すほど 赤字では 漫画ではなくて 借金証文を 刷っとるようなもんですからな。 何もせん方が まだ マシだ。 ハハハ。」
戌井「起死回生の逆転大ホームランを 放ったつもりでした。 僕達の貧乏も 報われなかった今までの苦労も 全部 逆転させるつもりで…。」
茂「お互い 残念ですな。」
戌井「実は… おわびしなければいけない事が もう一つ ありまして…。 原稿料… これだけしか 用意できませんでした。 …1万円 足りません。」
茂「分かりました。 今から 受取 書きます。」
<茂と戌井が 精魂傾けて 世に送り出した 『悪魔くん』は 無残なまでの 大失敗となったのでした>
玄関前
戌井「奥さんにも ご苦労かけて ほんと 申し訳ないです。」
布美枝「そちらも 大変ですね。」
戌井「こんな事になって 今更 何をと 思うかもしれませんが…。 『悪魔くん』は 名作です。 傑作です。 もし 僕に もっと資金力があれば よい結果が出るまで 何冊でも 何冊でも 出し続けるんですが。」
布美枝「戌井さん…。」
戌井「あの爆発的なエネルギーが あふれ出す表現力は いずれ 必ず 世間に認められるはずです。 そうでなきゃ おかしいです! 僕は 悔しいです…。」
仕事部屋
茂「は~ お前に つけ込まれんように 精一杯 気をつけとったんだが…。 くそっ!」
居間
布美枝「お父ちゃん…。 お父ちゃん!」
茂「今 微妙なとこを やっとるけん 話しかけるな。」
布美枝「えっ? 模型…?!」
茂「どうも うまくいかんなあ…。」
回想
政志「俺には 分かるよ。 そういうもん作る 男の気持ち。 どうしようもない時こそ 熱中する もんが 欲しくなるんだ。 なあ?」
回想終了
布美枝「手伝いましょうか?」
茂「ああ ほんなら 虫眼鏡 取ってくれ。 そこの引き出しに入っとるけん。」
布美枝「はい。」
茂「お~ これなら よう見えるなあ。 そのまま じっと 持っとれよ。」
布美枝「はい。」
茂「鼻息で 吹き飛ばさんようにせ。」
布美枝「分かっとります。 細かいとこまで よう出来とりますねえ。」
茂「うん 実に 正確に 本物を再現しとる。 よし もう ええぞ。」
布美枝「はい。 へ~え こげんなっとるんだ…。 あ あっ ちょっこし そこ 曲がっとりますよ。」
茂「え?」
布美枝「ほら そこ そこ そこ。」
茂「こちょこちょ うるさいなあ。 ほんなら お前がやれ!」
布美枝「え…。」
茂「ほれ。 これな… この穴。」
布美枝「はい。 ん? これですか?」
茂「うん。 おお なかなか うまいな。」
布美枝「あ~っ いけん。 緊張して 手が震える…。」
茂「もう一つ やってみろ。 これ。」
布美枝「はい。 けど なして 戦艦なんですか?」
茂「ん?」
布美枝「『お父ちゃんは 昔から いろんな 事に 熱中する癖がある』って 浦木さんが言っとったけど…。」
茂「ああ~ 子供の頃から 船が好きだったけんなあ。 6つぐらいの頃 境港に 連合艦隊が来た事があったんだ。 戦艦から航空母艦 駆逐艦 巡洋艦 ずらっと 150隻ばかり現れて…。」
布美枝「そげん たくさん?」
茂「おう。 水平線が見えんほど 並んどった。 勇ましくて 強そうで 町中総出で 艦隊見物だ。」
布美枝「へ~え。」
茂「おい ちょっと これ 切ってくれ。 ゆっくりで ええ。 慎重にやれよ。」
布美枝「はい。」
茂「港に つないである 駆逐艦を見に行った時な 海軍さんの下士官が 近づいてきて…。 俺に敬礼するけん こっちも 敬礼を返したら それが気に入ったのか 軍艦に乗せてくれたんだ。」
布美枝「軍艦に?!」
茂「うん 大砲に ぶら下がったり 水兵達と一緒に 飯 食ったり 面白かったなあ。」
布美枝「本物の軍艦で遊んどったんですね。」
茂「うん。 …で 明日は出港という日になって 海軍さんが 俺を養子にくれと言って 家に来たんだ。」
布美枝「え~っ!」
茂「俺は すっかり 海軍さんの子に なる気でおったんだが イカルが 猛反対だ。」
布美枝「当たり前ですよ。 お母さんが そんな事 承知するはずありません。」
茂「海軍さん がっかりしとったなあ。 戦記漫画を描いとる時に あの時の 駆逐艦が載っとる本を見て 無性に再現したくなったんだ。」
布美枝「へえ…。 海軍さんの養子に行っとったら お父ちゃん 今頃 どげなっとったでしょうね。」
茂「さあなあ…。」
布美枝「あっ もう こんなに薄暗くなっとる。 2階におる藍子に ミルク 飲ませなきゃ。」
茂「やってみると 面白いもんだろう?」
布美枝「え?」
茂「戦艦作り。」
布美枝「ええ…。」
茂「貧乏を退治してくれるはずの 『悪魔くん』が 反対に やっつけられてしまったけども ここで 気落ちしとったら ますます 貧乏神につけ込まれる。」
布美枝「くよくよしとるより 戦艦 作っとる方が気が紛れます。」
茂「うん。 楽しい事をしとれば 自然と 気持ちも 朗らかになる。 それが ええんだ。」
<現実は もがいても もがいても 抜け出せない ぬかるみのようでした。 布美枝は 模型に熱中する茂の気持ちが 少し分かるような気がしました。 その年 昭和38年11月。 オリンピックを 翌年に控えて 衛星中継の 実験放送が流れました。 それは… ケネディ大統領の暗殺という 衝撃的な映像だったのです>
仕事部屋
布美枝「かわいそう…。」
茂「ん? 何だ?」
布美枝「『悪魔くん』 殺されてしまうんですね?」
茂「しかたない。 ここで 死んでもらわんと 話が終わらん。」
布美枝「ええ…。」
茂「最後のとこはな ケネディの暗殺を ヒントにしとるんだ。 あの人も 志 半ばで さぞ 無念だったろうなぁ…。」
布美枝「そげですね…。」
茂「何を しんみりしとる?」
布美枝「『悪魔くん』 お腹すかして 金策に出ていくところが 何だか お父ちゃんみたいで…。」
茂「おかしなとこに 感情移入するなよ。」
布美枝「けど 『悪魔くん』は この世から 不幸や貧乏をなくそうとして 戦っていたんですよね?」
茂「ああ。」
布美枝「それなのに… 次々に ひどい目に遭って 最後には 死んでしまうなんて 何だか あんまりな気がして…。」
茂「昔から 世の中のために 戦っとった人達は みんな 苦しい思いを しとるもんだ。」
布美枝「はい。」
茂「とはいっても やっぱり唐突すぎるな。 無理して 終わらせたけん 大急ぎで死んでしまった…。」
布美枝「すいまえん。 私 余計な事…。」
茂「いや お前の言うとおりなんだ。 このまま破れ去って 終わったのでは あまりに希望がないけんな。 ほれ ここ 見てみろ。 『心配するな。 『悪魔くん』は 七年目に 必ず よみがえることに なっておる』。」
布美枝「『では この理想の戦いは まだ 続くのですか?』。」
茂「『そうじゃ。 地上天国が来るまでは やめられん!』。」
布美枝「『エロイムエッサイム エロイムエッサイム。 我は 求め 訴えたり』。 ほんなら 『悪魔くん』 また 現れるんですね?」
茂「そういう事にしておいた。 そうでなけりゃ あまりに救いがない。 いつか よみがえる。 きっとな…。」
布美枝「はい…。」
<世間から見向きもされなかった 『悪魔くん』が やがて 本当に復活する日が 来るとは 布美枝も茂も この時は まだ 全く知りませんでした>
玄関
靖代「ちょっと大きいけど 来年の春には ちょうど いいから。」
布美枝「いつも すいません。」
靖代「ううん。 お得意さんところから お下がり もらってきただけだから。 あら 先生 お出かけですか?」
茂「ええ 原稿を届けに。」
靖代「じゃ たくさん 原稿料もらって 今夜は すき焼きですか? アハハハ。」
茂「いや~ ハハハ…。」
靖代「はい 行ってらっしゃい!」
布美枝「行ってらっしゃい!」
玄関前
茂「あ~ 寒い!」
玄関
靖代「そういえばさ~ 美智子さんとこ また 来てるらしいのよ。 例の圧力団体。」
布美枝「また あの人達…。」
回想
日出子「よりによって こんな愚劣で 汚らわしい漫画!」
回想終了
靖代「追っ払われたのが しゃくに障ったんでしょうねえ。 あっちこっちで 貸本漫画反対運動 というのを やってるらしい。」
布美枝「そんなの 営業妨害ですよ。」
靖代「ほんとよねえ。 ここんとこ美智子さんとこだって ジリ貧だっていうのに。 正義の味方 気取るんだったら 貧乏人 いじめるなってのよねえ。」
布美枝「ほんとですよ…。」
<漫画の中だけでなく 現実世界でも 『悪魔くん』は 受難続きでした。 それは そのまま 村井家の家計を 更に 圧迫したのです>