こみち書房
徳子「あら! 来たわよ~!」
靖代「布美枝ちゃん! 所長から 聞いたわよ! あんた やっぱり おめでただったんだってね!」
美智子「よかったわね~ 布美枝ちゃん。」
一同「おめでとう!」
和枝「妊婦の心得 その1. カルシウムを たくさん とる事。 それから 海藻もね。」
布美枝「あ… はい。」
徳子「その2. つわりは 時期が来たら 治まるから おおらかに構える事。」
布美枝「はい。」
靖代「その3. 自転車は禁止。 転ぶと危ない。」
布美枝「はい。」
キヨ「その4. ご不浄は きれいに磨きなさいよ。」
和枝「あら 何で?」
キヨ「きれいな子が生まれるって 言うじゃない。 知らないの?」
靖代「知らなかったね!」
美智子「そんな矢継ぎ早に言われても 困るわよね! とにかく 水分は たっぷり とらなきゃね。 つわりの時は 特に気をつけて。 お茶よりも水が一番。 はい! あら 嫌だ! 私まで! おめでたって聞いて みんなで喜んでたのよ。」
キヨ「大事にしなさいよ!」
布美枝「はい。」
キヨ「先生も さぞ喜んでるだろう?」
和枝「そりゃ そうよ 初めての子だもの!」
徳子「年くってから授かるとさ~ 余計うれしいっていうじゃんね!」
靖代「先生 何だって? 『でかした女房』って 万歳でもしたんじゃないの?」
布美枝「ええ。」
一同「よかったね~!」
田中家
美智子「そう。 まだ伝えてないの。」
布美枝「ちょうど 中森さんの事もあって 『子供がいると大変だ 貸本漫画じゃ とても育てられん』って うちの人が言うもんですけん 言いだしにくくて。」
美智子「でも それは 先生が まだ 子供ができた事を 知らないからでしょう? 人間 産んで育てるんだもの 大変には 違いないけど。」
布美枝「夫婦二人 食べていくのでさえ やっとなんです。 この先 どげなるのか 働いても 働いても どんどん 貧乏になっていくような 気がするんです。 喜んでくれんかもしれん。 困らせるかもしれん。 そげ思ったら 怖くて なかなか 言いだせんのでうす。」
美智子「子供ができた事が 力になるかもしれないわよ。」
布美枝「え?」
美智子「うちの亡くなった子供 智志って言うんだけどね。」
布美枝「はい。」
美智子「智志が お腹にできた時は 戦争中。 仕事から戻ってきた うちの人にね 子供ができた事 話したの。 そしたら 何も言わずに ぷいっと 飛び出していって。」
布美枝「え?」
美智子「でも しばらくして戻ってきた時 シャモ 持ってたの。 『これ 食って 元気な子を産んでくれ』って。」
美智子「一緒に食べて シャモ鍋の味 私は 今でも はっきり思い出せるわ。 喜んでくれるわよ きっと。 先生 大きな人だもの。 1人で抱えてないで 一緒に考えなきゃね。」
布美枝「はい。」
水木家
玄関前
布美枝「あ! アキ姉ちゃんからだ。」
居間
布美枝「『赤羽の家に遊びに来い』って 明日じゃない? あ!(つまづく) 危なかった~!」
茂「何しとるんだ?」
布美枝「あ…。 あの… ちょっと ええですか…。」
茂「うん。」
布美枝「赤羽の姉のとこ 上の子が 剣道大会で 優勝したんですって。」
茂「ほう そげか。」
布美枝「『家族で お祝いするけん 遊びに来ないか』って。」
茂「ええぞ。」
布美枝「ええんですか?」
茂「おう 行ってこい。 何なら 一晩くらい 泊まってきたらええ。」
布美枝「『あなたも一緒に』って 言ってきとるんです。」
茂「俺は ええ。」
布美枝「一緒に 行って下さい。」
茂「ああ…。」
布美枝「姉の家族にも 会ってもらいたいし。」
茂「うん。 仕事があるけんな。」
布美枝「一緒に 来て下さい。 姉に話す事があって 一緒に 居てほしんです。」
茂「話す事?」
布美枝「姉は 東京におる ただ一人の身内ですけん。」
茂「どげした? 何か まずい事でも起きたか? あ~ もう 早こと言え! 気になって 仕事にならん。」
布美枝「子供が できました。 病院に行ったら 2か月ですって。 赤ちゃんが 生まれるんです。」
茂「本当か。」
布美枝「え…。」
茂「子供は 大変だぞ。」
2階
布美枝「困った顔しとった。 おばば…。 あの人 喜んどらんだった。」
<その日 2人は それ以上 話す事もできないまま 夜更けまで 茂は 漫画を描き続け 布美枝は 明け方まで 寝つけませんでした>
居間
布美枝「そしたら 行ってきます。」
茂「ああ。」
布美枝「鍋に ヒジキの煮たの入ってます。」
茂「うん。」
布美枝「今日は 向こうに泊まりますけん。」
茂「分かった。」
布美枝「行ってきます。」