連続テレビ小説「ちむどんどん」122話「やんばる!ちむどんどん!」

比嘉家

大里「突然 お邪魔して 申し訳ありません。 大里五郎と申します。 こちら 娘の悦子です。」

悦子「父は 足が悪いので 付き添いで。」

優子「比嘉優子。 旧姓 与那城優子です。 娘の良子 暢子 歌子…。 暢子の夫の和彦です。」

房子「大里さんは 戦後 東京へ移住され 町工場を経営なさっていたそうです。」

大里「ええ。 もう 東京に40年。 島の言葉も忘れました。」

悦子「あの去年 母の遺品を整理していて 父が これを見つけたんです。」

暢子「ジーファーだよね?」

和彦「沖縄のかんざしだよね。」

優子「姉のジーファーです。」

大里「40年前 沖縄戦のさなかで 私が 時恵さんの…。 ええ… あなたのお姉さんの 最期を みとらせてもらいました。」

悦子「ある日 焼け残った小屋に逃げ込んだら そこに 時恵さんが隠れていたそうです。」

大里「お父さんとお母さんは 機銃掃射にやられて亡くなったと。 お姉さんも 撃たれていて…。 どう見ても 長くは…。 小さな握り飯を 私たちにくれて 自分は もう… 食べられないからと。」

悦子「<はぐれてしまった弟がいる。 妹は 与那城優子 弟は 秀夫>。」

大里「<もしも 会えたら 伝えてほしいことがある>と。 <見捨てたんじゃない。 必死に捜したけど見つからなかった>。 そう 伝えてほしいと。 亡くなる寸前に そのジーファーを <妹に渡してください>と。」

優子「これは 姉の宝物です。 姉が 両親におねだりして 買ってもらったものです。 ありがとうございます 本当に。 姉は どんな最期でしたか?」

大里「お亡くなりになる前 水を欲しがりました。<喉が渇いた>。<お水をください>…。 少し… 水は持っていました。 だけど 私は…<水はない>と言いました。 自分たちの 明日からのことを考えると…。 食べ物をもらっておきながら ウソをついて…。 水をあげなかった…。 ごめんなさい…。 本当に 申し訳ありませんでした…。」

優子「最期を みとってくださり ありがとうございます。 生きているのか 死んでしまったのか ずっと分からなかった。 だけど ようやく…。」

優子「本当に ありがとうございます。 ネーネー うちは 秀夫を守れなかった。 ごめんなさい。 ごめんなさい…。 ごめんなさい…。 帰ってきてくれて ありがとう…。」

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