仕事部屋
茂「はあ…。 やっぱり これでは いけんな。」
布美枝「お父ちゃん お茶いれてきた。」
茂「うん。」
布美枝「これ 豊川さんからの お土産です。」
茂「おう どら焼きか。 うん うまい。 あの人の土産は 間違いがないな。」
布美枝「ねえ お父ちゃん。」
茂「何だ?」
布美枝「これは もう描かん事に したんですか?」
茂「ん?」
布美枝「豊川さん 残念がっておられました。」
茂「うん。 仕事のことだ。 お前は心配せんでええ。」
布美枝「はい…。 けど なしてかなあと思って。」
茂「何がだ?」
布美枝「なして 『悪魔くん』は 描かんのですか? あんなに 力 入れとったのに。」
茂「う~ん うん。 ここ 見てみろ。 ちょっこし線が太くなっとるだろ。」
布美枝「うん…。」
茂「貧乏暮らしへの怒りが ペン先に こもっとる。 思わず 力が入って 線が太くなっとるわ。 これ描いとる時は苦しかったなあ。 描いても描いても 貧乏神が つきまとって 先が見えんだった。」
布美枝「そげでしたねえ。 電気が止められたり 家を とられそうになったり。」
茂「貧乏への怒りで描いた漫画が 『少年ランド』の読者に 受けるとは思えん。 この漫画は 俺の漫画の中でも 一番 成績が悪かった。 2,300部刷って 半分が返品だ。」
茂「 5冊 出すはずが 3冊で打ち切りになって…。 こっちも大変だったが 戌井さんも 大損害だったろう。 『少年ランド』は 80万部。 こっちは 2,300部の半分が 売れ残りだ。 雑誌の世界は厳しい。 大きく失敗したら 生き残ってはいけん。」
布美枝「けど 豊川さんが 勧めて下さるんですけん。」
茂「甘い事 言うな。 『鬼太郎』だって 人気しだいで いつ 打ち切りになるか分からん。 もう この話は ええ。 仕事する。」
布美枝「…。」
茂「どげしたんだ? いつまでも ぐずぐず。」
布美枝「『悪魔くん』は 復活せんのですか?」
茂「え?」
布美枝「みんなの幸せのために戦って ひどい目に遭って 最後には 暗殺されてしまったでしょう。 『こんな終わり方 あまりにも かわいそうだ』って私が言ったら お父ちゃん ここの原稿 見せてくれて。 『心配するな。 『悪魔くん』は 七年目に 必ず よみがえる』。」
布美枝「この言葉で… ほっとしたんです。 いつか 悪魔くんの努力が 必ず 報われる日が 来るんだなって。 私… 悪魔くんと お父ちゃんを 重ねて 見とったのかもしれんですね。」
茂「もう ええけん 向こう行っとれ。 おい。」
布美枝「はい。」
茂「どら焼き もう一つ 持ってきてくれ。」
布美枝「はい…。」
茂「『エロイム・エッサイム 我は もとめ 訴えたり』か。」