居間
英治「ももさん。 お願いがあるんです。 この写真を ラジオ局まで 届けてもらえませんか?」
もも「えっ?」
英治「僕が行ければいいんですが 急ぎの納品があって…。」
もも「はあ…。」
英治「花子に渡してほしんです。 どうか お願いします。」
もも「分かりました。」
英治「はあ… 助かった…。 あっ じゃあ 今 地図 描きますから。」
JOAK東京放送局
廊下
「あの方に聞いて下さい。」
もも「あの! 村岡花子は どこにいますか?」
黒沢「どうなさったんですか?」
もも「忘れ物を届けたいんです。」
黒沢「どうぞ こちらです。」
スタジオ
花子「あの… ご相談があるんですが。」
漆原「今度は 何ですか?」
花子「原稿を変更したいんです。」
漆原「またですか…。」
有馬「放送は もう間もなくです。 逓信省の承認を取る時間は もう ありませんから そのまま お読みになるしかありません。」
漆原「そういう事ですので。」
花子「変更といっても ひと言だけです。 最後の挨拶を 『さようなら』ではなく 『ごきげんよう。 さようなら』に したいんです。」
有馬「冒頭にも 『ごきげんよう』と述べて 最後に また 『ごきげんよう』と 述べるのですか?」
漆原「よほど 『ごきげんよう』という 挨拶をしたいのでしょう。 あなたは 修和女学校のご出身だそうですね。」
花子「はい。」
漆原「うちの家内も修和の出身で 『ごきげんよう』は 朝から晩まで 耳にタコが出来るくらい 聞かされます。」
花子「そうでしたか…。」
漆原「あそこは 家柄のいい お嬢様たちが通う名門です。 しかし… あなたは 給費生だったそうですね。」
花子「ええ。 そうです。」
漆原「貧しい家の出である あなたが 殊更に 『ごきげんよう』という言葉を 使いたい気持ちは分かります。 しかし 『ごきげんよう』が 似合う人間と似合わない人間が いるんですよ。」
花子「そうでしょうか。 『ごきげんよう』は さまざまな祈りが込められた 言葉だと思います。」
漆原「祈り?」
花子「『どうか お健やかに お幸せに お暮し下さい』という祈りです。 人生は うまくいく時ばかりでは ありません。 病気になる事もあるし 何をやっても うまくいかない時もあります。」
花子「健康な子も 病気の子も 大人たちも どうか 全ての人たちが 明日も元気に 無事に 放送を聞けますようにという 祈りを込めて 番組を終わらせたいんです。 どうか お願いします。」
黒沢「挨拶の部分ですから 変えても 問題にはならないと思います。」
有馬「いいえ。 一行一句 変えてはなりません。」
漆原「まあ いいでしょう。 問題になったら 降りてもらえばいい。 時間だ。 始めよう。」
黒沢「あ… 村岡先生。」
花子「もも。」
もも「お姉やん これ お義兄さんから。」
花子「あ… ありがとう!」
もも「じゃあ 私は。」
花子「もも。 本当にありがとう。」