中華料理夏川食堂
ゆとり「夏川先輩、汐見です!居るんでしょ?死して屍拾うものなしですよ先輩。死して屍拾うものなし。死して屍拾うものなし」
夏川「うるさい」
ゆとり「やっぱり、会社で社長にダメ出しされて、泣きべぞかきながら居なくなったって聞いて、心配してたんですから。夏川先輩見た目の割にメンタル弱いから見た目の割に」
夏川「なんで2回言うのよ?」
ゆとり「思ったより元気そうで良かった」
夏川は自分の原点見つめ直すために店に来たとのこと
ゆとり「このラーメン薬味に三つ葉がのってるんですね」
夏川「そういえば、そうだね。内はずっと三つ葉だったから、これが普通だと思ってたけど」
ゆとり「いいアクセントになってたんじゃないんですか?ネギに比べて微妙な癖の強さがありますし」
夏川「癖の強さ・・・」
ゆとり「痛っ!え?なんですか?いきなり?」
夏川「ムカつく、結局あんたに絶妙なパス出された気がする」
ゆとり「何?なに、いー」
夏川「でもいいわ、シュートは自分で決めれば良いんだし、おしっ!」
ゆとり「え?ちょっと良くわからないんですけど?」
清流企画
中原「そこの汐見さんから客が不入りな理由は聞いた。内の店は量が少ないってな、本人は言うだけ言ってさっさと帰ってしまったが」
ゆとり「すいません」
中原「問題はそこじゃない、芹沢社長は内の問題点に気づいていたって話しらしいんだが?」
芹沢「ええ!麺房なかはらの1番の問題点は食事満足度の低さ。それは最初から気づいてました」
中原「最初から?」
芹沢「1990年代のラーメンニューウェイヴの頃、そのころ増え始めた女性客を意識して、あっさり上品、ボリューム控えめを売りにされてた。そのころと同じ感覚でやっていれば当たり前の結果です」
有栖「中原さんの本店はオフィスが近くにありますし、ランチだとか飲んだ後の締めの1杯としてなら、あのくらいのボリュームで丁度いいと思うんですけど」
中原「分かっていたのに、どうして黙ってたんだ?」
芹沢「答えは簡単です。中原さんは私をライバルだとおっしゃった、ですから私はライバルに相応しいコンサルティングを提供させていただいたんです。汐見はお役に立ちましたでしょう?」
芹沢「店頭のアピール不足、食事満足度の低さ、彼女が気づいたんですから」
中原「そういうことか、芹沢達美のライバルを名乗るなら、それぐらい自分で気付って言いたかったわけか、全く情けない話しだ」
ゆとり「でも、問題点には気づいたわけで、これから改善策を考えていけば・・・」
中原「いや、内はラーメン博物館から撤退する。内のラーメンはスープと麺とボリュームも含めて全て俺が完璧に計算し尽くしたものだ。今更量を増やすなんて、付け焼刃をしても意味なんてないだろうしな」
ゆとり「そんな・・・」
中原「今回のことは良い勉強になったよ。だが俺は自分のこだわりを捨てる気にはならない」
河上「中原さん、あなたが本気でそう思ってるなら、私はあなたを軽蔑する」
中原「なに?」
河上「あなたは何も分かってない。私が、芹沢社長がどんな気持ちであなたを見てきたかを」
調理室に居る夏川に話しかける芹沢
芹沢「夏川、準備は出来てる?」
夏川「はい」
芹沢「自信はあるののね?」
頷く夏川
芹沢「今から内の社員が考案したラーメンの試食があるんです。中原さんも一緒に如何ですか?」
中原「は?なんで俺が?」
河上「食べて行ってください中原さん」
試食
ゆとり「いただきます」
有栖「三つ葉か、昔のラーメン屋ではよく薬味に使われていましたね」
中原「これはフォンドボーをベースにした醤油味のスープだな」
ゆとり「前より牛骨と牛筋の量も増えてこってりとしたコクもましています。それなのに全然くどさも感じない」
河上「三つ葉の効果ですね。清涼感とほのかな苦みをもった大量の三つ葉が麺を啜る度に絡みついてくる」
ゆとり「スープと三つ葉の個性がぶつかりあって、もの凄くワクワクする味に仕上がってますよ先輩!」
夏川「実家のラーメンが三つ葉を使っていたので、それを参考にしました」
芹沢「合格。たった1日でよく高められたわね」
夏川「凡人には凡人の戦い方がある。社長にそういってもらえたおかげです。私は凡人ですから、空からひらめきが降って来たりはしません。だから、とことん地べたにこだわることにしました」
夏川「自分の中に蓄積されてきた体験や記憶、積み上げてきた努力や試行錯誤、そういうものを足場にして考えて、悩んで、動いて、職人として高見を目指します。社長のおっしゃる通り職人としての一番の敗北は歩みを止めてしまうことですから」
中原「敗北は歩みを止めてしまうこと・・・」
河上「中原さん、あなたはラーメンニューウェイヴの旗手として、ずっとこの業界のスターの道を歩んできた。今回のことがあるまで、ずっと無自覚で居ることが出来た。私はそんなあなたはとても幸せな人だと思う」
中原「幸せ?俺がか?」
河上「私は出した店を3年で潰した男ですよ。それに芹沢社長も」
芹沢「中原さんが名古屋コーチンの丸鶏ラーメンで注目を集めていたころ私はアユの煮干しを使った薄口醤油らあめんで勝負をかけていました。でも、その勝負に勝つことができなかった」
ゆとり「え!?」
芹沢「スープが薄くてコクもパンチもないマズイラーメン。それが私の淡口醤油らあめんに下された評価だった。ある日、ヤケになってラードをぶち込んだラーメンを客に出したら、客はそれを美味いと大絶賛した」
ゆとり「ラードって、そんなもの入れちゃったら」
芹沢「アユの繊細な風味なんか消し飛ぶわよ!でも、客は大喜び。ラードからニンニクを揚げたヘッドに変えて、それから店は大盛況。濃口醤油らあめんはらあめん清流房の、芹沢達美の代名詞になった」
芹沢「私は理想と現実の間で戦っています。そして、それは今も変わってません。嘗て100点満点だった丸鶏ラーメンを今も100点満点だと信じてしがみついてる、あなたは私のライバルなんかじゃないラーメン職人としては寧ろここに居る夏川や汐見よりも劣っています」
中原「俺はもう、そこの彼女のように若くない、だから・・・3日だ。3日後に内の店に来い。そしたらお前達が驚くような美味いラーメン作って食わせてやる」
3日後
中原「さあ食べてみてくれスープと麺は今まだ通り、乗せる具を変更した」
ゆとり「この具は鶏の軟骨焼きに砂肝焼き、生海月それに煮卵と長ネギですね」
有栖「軟骨に砂肝とは珍しいな。だがそれほどボリュームアップはしていないようですが?」
河上「とにかく頂いてみましょう」
実食
夏川「美味しい、麺とスープはもちろんですけど、この具はコリコリした食感で」
河上「いいアクセントになっていて従来の丸鶏ラーメンよりメリハリが効いている気がします」
完食
夏川「なんで?」
有栖「おかしいな?僕が満腹間を感じてくるなんて」
芹沢「その答えは噛み応え、咀嚼回数の違いよ」
ゆとり「咀嚼回数?」
夏川「そういえば、ダイエットしてた時に本で読んだことある。噛む回数を増やした方が満腹感が得やすいって」
芹沢「食べ物をよく噛むとヒスタミンという物質が分泌される。ヒスタミンには満腹中枢を刺激する作用があるの」
有栖「なるほど、だからボリュームを変えなくても、これだけの満足感が得られるわけか」
河上「具を変えることで味の向上と食事満足度の両方をクリアするとは流石です、中原さん」
中原「この3日間、死に物狂いだったよ。だがそれで思い出した。初めて自分の店を持った時のことを、それと勝和軒で修業してた時の気持ちもな。」
中原「だからラーメン職人として、こんな小娘に負けてたまるか」
芹沢「中原さん、私あなたが嫌いでした」
中原「知ってるよ。修行時代散々いびったからな」
芹沢「いいえ、ライバルとして、あなたが時代遅れになっていることを感じて、そういう気持ちも薄れてたのに最近は、今日からまた、改めて嫌いになりそうです」
中原「光栄なこった」
芹沢「ごちそうさまでした」
帰り道
ゆとり「社長」
芹沢「なに?」
ゆとり「さっきのラーメン凄く美味しいですけど、あの食感の強さは万人受けをしないですよね?」
芹沢「そうね」
ゆとり「ワクワクの正体って、そういうことなんでしょうか?」
夏川「どういうこと?」
ゆとり「河上部長も言ってましたよね」
回想
河上「人によっては、もしかしたら抵抗を感じるかもしれない、そういうスリリングな側面が多くの人を病みつきにする、それがラーメンの持つ魅力でしょう」
回想終了
ゆとり「部長の作ったアンチョビラーメンの臭みも、夏川先輩の作ったフォンドボーと三つ葉のラーメンの癖の強さも今日の丸鶏ラーメンの歯ごたえも、その個性がワクワクを生む魅力になっていました。つまり」
芹沢「つまり?」
ゆとり「料理は普通バランスを整えるものですけどラーメンはその逆アンバランスであることがワクワクの正体なんじゃないかって」
夏川「アンバランス」
芹沢「夏川も覚えているでしょ?汐見が内の入社面接に来た時、実践したことよ」
芹沢「あの時汐見は肉だし珍湯麵にベーコンと玉ねぎ炒めを加えてバランスを崩したことで味を高めた」
夏川「じゃあ、あんた最初から答えが分かってたってこと?」
ゆとり「まあ、なんとなく」
芹沢「言語化出来なきゃ意味ないじゃない。ワクワクなんて感覚的過ぎるから、分かってないのと同じよ」
ゆとり「じゃあ、やっぱりそれが答えなんですか?」
芹沢「間違ってはいない。でも、答えの1つでしかない」
ゆとり「え?」
芹沢「そんなとこで止まってるようじゃ、まだまだ未熟!やり直し!」